三四郎・小宮の炎上まとめと学生時代の壮絶ないじめ

お笑い芸人・三四郎のツッコミ担当小宮さん。メガネがトレードマークで優しげな風貌ですが、1度、大炎上しています。その原因は何だったんでしょうか。またキーワード検索に出てくる「いじめ」とはどういう事でしょうか?

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三四郎・小宮のプロフィール

1983年9月3日 東京都練馬区出身、本名は小宮浩信。身長175cm、体重60kg。成城学園中学高等学校出身。

高校1年の時に母親が亡くなり、この影響から自身は「勉強しても人はいつか死ぬんだ」と、以後は勉強をまったくしなり、その結果、留年。この時の事を小宮さんは「周囲が皆『さん付け』で呼んでくれるし、特に恥ずかしくも無かった」後に語っています。また留年した時に「どうせなら正反対の方に行ってやろう」という反骨心で文化祭にて漫才を披露し大変評判が良く、結果大成功をおさめ、この後のお笑いの世界に進むきっかけになりました。

三四郎を結成

1年留年しまして高校を卒業したもののフリーターだった小宮さんでしたが、成城大学に通っていた相田さんを誘いコンビ結成。当初はNSC東京校に入学予定でしたが、入学の約2ヶ月前に願書を取りへ行った際に「まだ発行してないから2週間後くらいに郵送する」と言われた待っていたが1ヶ月経っても届かず。焦って他の養成所を調べていたところでプロダクション人力舎が運営する養成所スクールJCAの存在を知り2004年にJCAへ13期生として入学し本気で芸人を目指し始めました。ちなみに養成所時代から「三四郎」名義で活動していました。

順調からの突然の挫折

JCA時代の成績は常にトップクラスで、先輩などからは「こんなに成績が良いのはドランクドラゴンぶりだ」と高評価を受けたり、ライブに出れば安定して笑いを取っていたりと、自分たちが圧倒的に一番だと誇っていました。しかし、NSCとの対抗戦形式のライブで同期にあたるオリエンタルラジオの勢いに圧倒され、ショックを受け半年ほどで中退。その後、結成2・3年目頃に渋谷のバーガーショップで3人目のメンバーを加入させる是非を巡って衝突、結果、一度解散。その後、小宮さんは当時ピンで活動していた芸人とコンビを組みましたが、ツッコミが欲しくなり相田さんが加入する形でトリオ「次男坊」を結成。1年ほど活動しましたが「お前らにはついていけない」と1人が脱退。再び小宮・相田のコンビに戻り「三四郎」として活動を再開。今のスタイルに落ち着きました。

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小宮の炎上事件

「戦闘中」で炎上

1つ目はテレビ番組「戦闘中〜大江戸決戦!忍の乱〜」。この番組はどっぎボールをベースにした内容で、決められた時間内に他のプレイヤーを撃破し合い、最後にプレーヤー同士が戦うサバイバルゲーム。

小宮さんは、自分以外は全員敵で最後まで勝ち残るべく全員がしのぎを削る中、プレーヤーとして出演。一度は脱落し復活した「野球女子」として人気のタレントさんへ対し「何やってんだよ。何のために復活したんだよ!」と過去に同様の発言で炎上したにもかかわらず、いらだちを抑えきれずに言ってしまいます。

その後も自分が助かるために、AKB48のメンバーを見捨てるなどの言動が大炎上しました。

視聴者からは

・小宮クズすぎ

・マジで小宮がクズ過ぎて、役割だとしても嫌いになるねぇ。

・小宮の雑魚キャラ感

・小宮さんが圧倒的卑怯っぷりを発揮しておりたまらないです

・女性一人残して逃げたっていうシーンは最低だと思うなあ

などなど、ブーイングの嵐でした。これに対し小宮さんは「ちょっとボヤ騒ぎ。良くある話なんで」とラジオで語っていました。

相方の相田も炎上

出演した「有吉の壁」で、大人気漫画「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎のモノマネをしていた小宮さん(顔が炭次郎役の花江夏樹さんに似ていたから)。なので相田さんは、竈門炭治郎の妹である竈門禰豆子をやることになったそう。その流れで番組内で、禰豆子に扮した相田さんは、禰豆子がいつも咥えている竹筒をマイク代わりにして歌うというパフォーマンスを披露したところ、ネット上では「マイク代わりにするな」などと炎上してしまいました。

この事で相田さんは「『相田が禰豆子って…』っていうところで、炎上なら分かるけどさ。マイクにして歌っちゃダメなんだと思って」と落ち込んでいたそうです。

しかし放送後、思ってもみなかった出来事が。

なんと炭治郎の声優・花江夏樹さんが「相田さんのねずこ可愛いな…」と自身のSNSで感想をコメントし、イイねが3万越えで相田さんは「花江君が『相田さんのねずこ可愛いな』って言ってくれたから、まだ助かったよね。花ちゃん、ありがとう」と感謝していました。

2りそろって炎上しましたが人間性の違いが面白かったです。

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壮絶ないじめ体験

小学校でのいじめ

・クラス全員から無視された。

・目つきが悪かったがために付いたあだ名が「愉快犯」

・ランドセルを奪われ一般人が入れない発電所になかに投げ込まれた。

・かばんいっぱいにエロい本を入れられた。

中学校でのいじめ

・同級生に”葬式やるから手伝ってって”と言われて葬式の手伝いしてたら、弔辞のときに“おい! 小宮、なんで死んだんだ”って言い出して、自分の葬式だったと気付いた。

・”女子が写真を欲しがっている”と言われ渡したら「葬式ごっこ」の遺影にされた。

・PHSを川に投げられたり、机を画鋲だらけにされた。

・「放課後まで耐えれば、塾に行って友達に会える」と思って我慢した。

高校でいじめが終わったきっかけ

高校まで続いたいじめ。しかし小宮さんは転機をむかえます。

そのきっかけを小宮さんはこんな風にインタビューで話していました。

「高校2年生の文化祭でした。相田ともう1人と漫才をしたんですよ。

それがウケて一目置かれるようになったことが、いじめの終焉に繋がったんだと思う。

学校をサボりまくってたから先生にはいつも怒られていたけど、漫才では初めて褒めてもらった。

三者面談でも毎回親まで怒られていたけど、漫才をやった後の面談では「お笑いの能力が長けてます」って言ってくれて。

親も喜んでいたし、僕はこの言葉は一生忘れないと思う。お笑いの世界に進もうと決めたのも、このときだね」

小宮さんの苦痛はここで終焉をむかえましたが、小学4年生から高校2年生までの7年間は、未成年にとって果たしなく長い時間だったでしょう。

小宮さんの相方の相田さんいわく

「こんな状況になったのは小宮にも責任がある」とのこと。

その原因は

「クラスのマドンナ的存在がいたんですけど”マドンナ的存在と付き合ってる”って半年間嘘ついてたんですよ」

そんな嘘をついていたら女子に呼び出され

「小宮中心に。20人の女子に囲まれて」

『嘘つき!』『クズ!』 『ブス!』

と、次々に端から悪口言われたそうです。

結果、男子にも嘘をついていた事もあってそこからいじめが始まったそうです。

ギリギリ笑える不幸な話

小宮さんは小学校から高校までのいじめ体験を話しながら「泣いたな~、あれは泣いたな~」と何度も言っていました。

劇団ひとりさんの真剣な表情が、この過去の出来事の重大さを物語っていました。

本人は「ギリギリ笑える不幸な話」と言っていましたが、笑えるまでに消化した長い時間を思うと悲しくなってしまいます。

壮絶な過去を乗り越えてお笑い芸人として活躍している小宮さん。

乗り越えたからと言って、心の傷は一生残るし、いじめる行為は許されるものではありません。

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三四郎・小宮、炎上といじめのまとめ

一時期、前歯がなかった小宮さんですが、治療されてから売れたなんて言われていますね。漫才にもますます磨きがかかってきて、最近ではTHE SECONDでもファイナル進出されて勢いに乗っています。過去をものともせず、これからも笑いを追求し、もっともっとステップアップしてくれる事に期待しましょう!

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