サンド伊達みきお・見た目は怖いが心は天使!優しい人柄とコンビ愛!

今回は知らない人がいないのでは?というほど大人気、サンドイッチマンのツッコミ担当伊達みきおさんについてです。どんな人でどんなエピソードがあるんでしょうか?さっそく見ていきましょう!

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サンドウィッチマン・結成

伊達みきおプロフィール

伊達みきお 本名は伊達 幹生、1974年9月5日宮城県泉市出身。相方は富澤たけし。奥州の超名門・伊達家に連なる血筋。第17代・伊達政宗ではなく第9代の伊達政宗の血筋で、9代の政宗には伊達宗行という弟がいて、この方が伊達みきおさんのご先祖様です。曽祖父は東京帝都大学(現在の東京大学)出身、宮城控訴院 元判事。父親はエリートサラリーマンで母親は専業主婦。

出会いからコンビ結成まで

高校に入って伊達さんは、中学から続けていた野球部に入ろうと思い仮入部をしました。しかし練習試合で負けた時のペナルティーが、全員部室にあるバットの本数分のグラウンドをぐるぐる走る事だったようです。なんと、バットの数は100本。思ったよりも練習(ペナルティーの追加練習も含む)が厳しく付いていけないと思った時、違うグラウンドを見たらラグビー部がダラダラ練習していたので、ラグビー部に入部したそうです。

運命のラグビー部

入部したラグビー部で伊達さんと富澤さんは出会いました。お互いの第一印象について、伊達さんは「僕と似たような体型の男が1年生にいるな」、富澤さんは「体格がガッチリしているけど、よく見ると可愛い顔をしてる男だな。」だったそうです。

その時同じ1年の富澤さんから「一緒にスパイク買いに行こうぜ!」と話しかけ、伊達さんは「ああ、いいよ。」と答え、これがきっかけで仲良くなり現在のサンドイッチマンに繋がります。まさに運命の出会いですね!

伊達さんのサラリーマン時代

高校卒業後伊達さんは専門学校を出て福祉関係の仕事に就きます。

伊達さんは営業に向いていたようで、成績も大変良く福祉施設の職員や利用者から人気があり「伊達さんから買いたい」と指名されることもあったといいます。当時の社長さんは「伊達くんがいると職場も明るくなった」と振り返っていました。

そんな生活をおくっていた時、富澤さんは「一緒にお笑いをやらないか」と持ちかけられますが、伊達さんは父親に紹介してもらった仕事を「5年は続けるつもりだ」と断りました。しかし富澤さんは諦めずに「いつ会社辞めて芸人になるんだ?」とラブコールを送り続けたそうです。

その後も富澤さんの誘いを断り続けていたそうですが、優しかった祖父の死をきっかけに「人はいつか死ぬんだ。やりたいことをやらなければ」と考え富澤さんとコンビを組んで芸人に道を選んだそうです。

父親の反対と会社の反応

富澤さんとコンビを組んで東京に行こうと決めた伊達さんでしたが、勤めていた会社は父の紹介。まずは理解して許してもらいたいと正直に話します。しかし厳格な父は、「会社を辞めて東京に行って芸人になりたい」という伊達さんに対して「絶対に許さんぞ。もしやるなら伊達の名前は使うな」と厳しく言い切ったそう。

それでも「3年間だけ挑戦させてくれ」という条件で何とか許可を取り、会社の社長さんに退職と芸人になる事を伝えると「ここでの経験を生かして、頑張ってください」さらに「お笑いも福祉の一つだぞ。福祉は相手の立場に立ってする仕事で、人を幸せにすること。お笑いを届けて人を幸せにする仕事なんだから頑張りなさい」と励ましの言葉とともに温かく送り出してくれました。

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サンドイッチマン・上京物語

夢と現実

2人は東京に出てきたもののお金がなかった為、アパートで共同生活をしながら活動をスタートさせます。

細々と舞台などで活動してきたものの、手ごたえがあっても全く売れずバイト三昧だったそう。それでもめげずに舞台に立ち続け、2005年、デビューから7年目で「エンタの神様」の出演を掴みました。満を持してつかみ取ったチャンスでしたが、そこから売れっ子になる事はなく、変わらずバイトを続けていました。

最初に見た芸能人

1998年に宮城から上京してきたサンドウィッチマンの2人はホリプロに所属しました。当時のコンビ名は「親不孝」。

当時、先輩と会社で会っていた時に出会った芸能人が和田アキ子さん。当時の様子を伊達さんは

「階段ですれ違ったんですよ、“大男”と。Tシャツ1枚の。分からないから、まさかアッコさんがいるとは思わないから、先輩が『今のアッコさん』と」

続けて

「男性トイレから出て来た」

と返し、富澤さんは

「いやいや、女性トイレだと思いますよ」

とフォロー、笑いに包まれました。

運命の2007年

売れてないながらも、お笑いの道を挫折することなく進んでいたふたり。そんな2人はダメもとである大会に出場します。

その大会こそが「M-1グランプリ」でした。

準決勝敗退からの決勝進出

意気込み・気合とも充分で挑んだM-1グランプリでしたが、惜しくも準決勝敗退でした。悔しい気持ちもそこそこに切り替え、敗者復活に向けて意気込んでいましたが、決勝に残ったコンビの面子を見て、何かぽっきり折れたような気分だったそう。なぜかというと、吉本外のコンビは自分たちとザブングルだけ。出来レースのように思ったそうです。

だけど捨て勝負はしたくない!と同居していた家を別々に出て会場に向かったそうです。

「4201番、サンドウィッチマンーーーーーーーーーー!!」

会場に声が響いていて瞬間、伊達さんは自分の番号を確認し、富澤さんは誰にも分らないように拳をグッと握りしめました。

続いてのインタビューで決勝会場の今田さんからコメントを求められ、伊達さんは上ずった声で「かき回してきます!」と答え、富澤さんは何言ってんだこいつ?と思ったそうです。

この時、敗者復活を会場で見守っていた千鳥のノブさんは「えらいヤツくるぞ~」と今後の展開を予言するような一言をおっしゃっていました。

復活からまさかの優勝

まず決勝は8組で競い、点数の良い上位3組が最終決戦に出場します。この時のサンドイッチマンは700点満点中651点という高得点で1位通過。2位はキングコングで650点、3位はトータルテンボス646点。そのまま三者の争うステージへと舞台は移されます。サンドウィッチマンのネタは「ピザのデリバリー」。

優勝の瞬間

3組ともネタを終え壇上に並んで結果を待ちます。この時の心境を富澤さんは「やり尽くした」、伊達さんは「ネタも飛んだし、優勝はない」と思ったそうです。

緊張のまま結果発表の時が来ました。審査員の出した結果を固唾をのんで見つめる3組。

「優勝は、サンドウィッチマンーーーー!!」

この時、紙吹雪が降りしきる中2人は涙を流しながら握手。

伊達さんは「紙吹雪がまだ舞い落ちてくる中、握った相手の手は、まちゃくちゃ熱かった」と語っています。

この優勝を勝ち取った結果、現在の活躍に続いていきます。

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伊達さんいい人伝説

ここから少しだけ伊達さんの「いい人エピソード」をお届けします。

・狩野英孝

県民ショーで母親がサンドウィッチマンを支持。悔しかった狩野さんは放送後SNSで「サンドウィッチマン・・大っ嫌いっ!!」と呟いたところ、伊達さんから「サンドウィッチマン大嫌いなんて言わないで(笑)お母さん、流石だね!凄いわマジで!」と返信。続いて「お母さんに、くれぐれも宜しくね バラエティーとして最高でした!と」こんなメッセージを貰い最終的には「好き。。。」としめて終わった。

・女子高生

47歳の誕生日に「Happy birthday」と「47」のバルーンで飾られた部屋で、伊達さんの顔のお面をつけた女子高生5人組の写真が送られてきました。 伊達さんは、「どうやら、17歳の女の子達が僕の誕生日パーティーを開いてくれたらしいのだ。誕生日ケーキを作って、みんなでお祝いをしました!と」「ただただ驚きましたよ(笑)マジで、こんな事をしてくれる女子高校生達がいるなんて!ジャニーズのカッコ良いアイドルの誕生日パーティーならファンが集まってとか理解出来るけど…」「本当に、心から嬉しいし感激しています」とつづっています。

・漫画家で芸人のタナカダファミリア

「事務所の洗面所のドアを開けたら、手洗い場を綺麗に拭き上げているサンドウィッチマン伊達さんがいた」と事務所の先輩である伊達が手洗い場を掃除する姿を目撃。伊達は「まぁ、たまにしか事務所来ねぇからこれくらいはな。変なとこ見られちゃったなぁ」と照れ臭そうに話したといい、田中さんは「なんてかっこいい先輩なんだろう」と尊敬のまなざしを向けそうです。

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まとめ・サンドウィッチマン伊達みきお

今回はサンドウィッチマンの苦労時代からM-1の快進撃、そして伊達さんのイイ人伝説まで取り上げてみました。いかがでしたか?面白かったですね!安定感のある漫才コントをこれからも期待しましょう!

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