今さら知りたい!明石家さんまの伝説から最新までのエピソード!

日本で知らない人はいないのではないかというくらい有名な明石家さんまさん。1974年から芸能界で活動し、今年で49年。昭和から平成、そして令和へと時代は変わっても、老若男女に笑いを与えてくれたさんまさんについてをお届けします!

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プロフィール~明石家さんま誕生まで

明石家さんま・本名:杉本高文 1955年7月1日 奈良県奈良市出身。奈良県立奈良商業高校卒業。

和歌山県で水産加工業の次男として生まれ、3歳で母が病死し奈良県に転居。実家は1階が工場、2階が自宅の自宅兼工場。

高学年の時に父が再婚し、歳の離れた弟ができとても喜んだそう。しかし新しい母には遠慮もあり、母との間には大きな溝ができ、母が隣の部屋で酒を飲みながら「うちの子はこの子(弟)だけや……」と言うのが壁伝いに聞こえて兄と二人で二段ベッドで泣いたそうです。

自分の頂点は17歳

さんまさん自身が公言している通り、高校時代は大人気でした。サッカー部に所属していたものの真面目ではなく、いたずらを仕掛けて授業妨害など、目立つ行動をしていたためだったそうです。

しかし当然先生たちからは目の敵にされていて、徒競走で逆走した時は全校生徒や父兄の前で追い掛け回されたこともありました。

弟子入り

花月劇場で見た落語が面白くて忘れられず、1974年2月、高校3年生で笑福亭松之助弟子入りします。

初顔合わせで師匠に「なぜ僕をえらんだのか」と尋ねられ「センスがよろしいから」と素直に返すと「そら、おおきに」と返されたそう。気に入ったのか師匠は、この日のラジオの仕事に弟子入りしたばかりのさんまさんを連れて行ったそうです。

この時代の芸名は「笑福亭さんま」でした。

さんま駆け落ち事件

真面目に芸を目指すと思いきや、そんなことはなく半年で女性と駆け落ちして内弟子修行を放り出したさんまさん。一旗揚げようと上京するも上手くいく訳がなく、一時帰省した時に口実を付けて師匠に会いに向かうさんまさん。すると叱るどころかさんまさんを明るく激励してくれたそうです。

後に付き合っていた女性が他の人と結婚したため、再び内弟子に戻る決意で師匠の楽屋を訪ねます。

すると師匠は「なにもいうな、ついてこい」とラーメンを食べに連れて行ってくれたそうで、これが師弟での初めての食事でした。しかし「笑福亭」を名乗るのは、周囲の反発が予想されていたので「明石家」に変えて再出発しました。

余談ですが松之助師匠は、上方落語会や吉本に「さんまが帰ってくるから、よろしゅう頼むわなぁ」と根回しもしていてくれたそうです。

テレビ初出演

初めてのテレビ出演は1976年1月15日放送の「11PM(大阪イレブン)」。

20歳を迎える上方落語家をスタジオに集めてトークする企画に出演する事が決まった時、なぜか師匠は着物ではなく「赤いブレザーを着ていけ」と言い従いました。すると多くが着物姿の軍勢の中、目立つ真っ赤な服で良く喋ったさんまさんはとても目立っていたそうです。

東京での初仕事

その後も目立った仕事がなかったさんまさん。そんな時、兄弟子とコンビを組んで漫才をしてみないかと打診され出演。その時のネタは、当時の巨人選手の形態模写でこれがお客さんにウケて徐々に人気が高まりました。

そしてこれを機に、フジテレビの番組に出演。これが東京での初仕事となります。

その後も2人で漫才コンビを、と打診されますが「ピンで売れたい」気持ちが大きかったので断り、コンビ解消します。

また同時期に交流があった島田紳助さんからも誘われましたがこれも断り、代わりに知り合いだった松本竜介さんを紹介。

後に伝説のコンビ「紳助・竜介」が誕生します。

その後、東京進出し紆余曲折を得て今に至ります。

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明石家さんま・伝説の番組

俺たちひょうきん族

当時人気だった「8時だよ全員集合!」に対抗して始まったのが「俺たちひょうきん族」でした。

数年前に放送されていた「笑ってる場合ですよ」で面識はありましたが、さんまさんは東京に出てきたばかり。たけしさんが覚えているかは微妙でした。

当時ひょうきん族はたけしさんが演じる「タケちゃんマン」の相手を色んな人がやっていたそう。ある時、高田純次さんがおたふく風邪にかかってしまい抜擢されたのがさんまさんでした。

プロデューサーの三宅さんは当時の事を

「さんまさんがその座を勝ち取ったという感じでしたね」

と話していましたが、その通りで

「誰に対しても自分で存在価値を作れる人なんです。ですから当時、さんまさんは『ひょうきん族』に出るときは “たけし派”、『笑っていいとも!』に出るときは“タモリ派”となって、スルスルスルってまとめるのがうまかったですね」

とも話していました。

結果、さんまさんが「ブラックデビル」「アミダばばあ」「ナンデスカマン」「知っとるケ」「サラリーマン」などなどの人気キャラクターを長きに渡り勤めました。

正月恒例「お笑いBIG3」

お笑いBIG3とは「たけし・タモリ・さんま」の事。1988年から1999年まで放送された『BIG3世紀のゴルフマッチ』が大人気でした。ただゴルフをするだけではなく、様々な珍ルールの中で誰が優勝するかを決める番組です。

カタカナ禁止や英語禁止などのルールを決め、守れなかったらペナルティー。時には短すぎるドライバーを使ったり、グニャグニャと曲がるパターで打ったりと、面白くて大人気番組でした。YouTubeに残ってるので是非ご覧ください!

あっぱれさんま大先生

数多の人気番組を持っていたさんまさん。中でも当時から現在まで、さんまさんと子供達との共演は「あっぱれさんま大先生」が唯一です。1988年11月21日から毎週月曜19:00放送のレギュラー番組として始まりました。

曜日と時間帯、最後の方は番組名も変えながら2004年までの16年間で放送終了。そして2023年7月1日に「あっぱれさんま大先生・同窓会スペシャル」が放送されました。

かつての子役たちも立派な大人になって登場。当時のさんまさんの無茶ぶりを思い出しては笑っている姿が印象的です。

この番組からはタレント・俳優・声優など沢山の芸能人が出ています。

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お笑い怪獣・エピソード

結婚・離婚編

当時人気女優だった大竹しのぶさんとドラマ・映画共演を経て結婚。再婚だったしのぶさんの長男と、自身の子である長女と4人で暮らしていました。

当時は「いまる(長女)・にちか(長男)・さんま・しのぶで1・2・3・4」と話しており、仲好し家族だと思われましたが、わずか4年で離婚。報道陣の前に現れた時に額に☓を書いており、この事がきっかけで「バツ1」という言葉が誕生しました。

誰に対しても潤滑油

昔から芸人同士のケンカの仲裁も得意だったさんまさん。プライベートでも誰かが揉めていると、さんまさんの一言が潤滑油になって収まったそう。そんな場面を数多く見てきた所ジョージさんは

「あんたはいろんなところに工場を持って油を差して回ってる、すばらしい“工場長”だ」

と言っていましたが、身近な人たちはみんな納得していたそうです。

素人やファン相手にも全力投球

新幹線のエピソードを二つご紹介。

・10年以上前、新幹線に乗っていた時に話しかけてきた人と車とかの話題で盛り上がっていた。しかし話しかけてきた人がずーーーーーーっと喋るさんまさんが嫌になったらしく、車内販売が通ったタイミングで寝ようとしたので「おまえが話しかけてきたんやろ」と起こして話し続けた。

・2年位前、新幹線で赤ちゃんと遊んでる動画がSNSで拡散されバズっていました。この事をラジオで聞かれたさんまさんは

「ずーっとおれを見とるんです。見たらキャッキャ、キャッキャ笑うんですよ」

そのうち赤ちゃんは、反対の窓側の席からさんまの方へはって近づいてきたので

「あまりのなつきようで、新大阪から東京駅まで2時間半、ずっと遊ばされてたんです。『なんでやねん』と思うたよ、途中」

遊んであげていたと。でもご両親はぐったりしていたそうです。

番外編ですが、次長課長の井上さんが5月29日のSNSで新幹線内の様子を投稿して話題になりました。

それがこちら

「車内の前の方からヒソヒソと声が聞こえてきたので覗いてみると、いつも通り、さんまさん、松尾伴内さん、河本がお菓子を囲んで楽しそうにしていました」

「そのお菓子はエースコインといっていろんな時代のお金の形をしたビスケットが入っており、その中から当たり枠の3種類を引けたらラッキー!というものです。それをさんまさんを筆頭に、ひとりづつ順番に律儀に目をつぶって『おまえは何が出た?』『なにそれ!?めっちゃいいやつちゃうか!?』とはしゃいでます」

「しかし残念ながら全員、老眼なのでビスケットがよく見えておらず、ほとんど当てずっぽうで喜んでおられました」

楽しそうな写真は井上さんのInstagramでお確かめください。

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明石家さんま伝説・まとめ

今回さんまさんについてまとめてみましたが、ご紹介したエピソードはほんの一握りにもなら無いくらいでした。まだまだまだまだ沢山あるんですが、このままいくと数十、数百ページになってしまうので本日はこの辺りで。

古いものから最近のエピソードまで、楽しんで頂けましたか?

最後までお付き合い頂き、ありがとうございます!

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